
来たる9月29日に、久し振りに本を上梓します。『評伝 小栗忠順』(作品社)です。内容は、もうタイトルそのままです。ここ10年ほど、小栗について具体的に考えていたことを、可能な限り詰め込みました。思い入れがあることによって、逆に執筆作業は困難を極めましたが、青息吐息で書き上げました。1年数ヶ月、ずっとこの原稿のことを考えて過ごすのは、一種の精神修行のようでした。それほど、小栗というのは軽々には扱えない人物だと思ってきたからです。彼の評伝を書くならば、こちらも傷だらけになることを覚悟していましたが、全くその通りの有様です。
来年のNHK大河ドラマが小栗を主人公とした『逆賊の幕臣』ということで、拙著以外にも小栗関連の本は数多く出版されるようです。そこで、私の『評伝 小栗忠順』がどのような内容、特徴を持つものか整理しておきたいと思います。書店さんなどで購入を検討される際に、一つの判断材料にしていただければ幸いです。
・ 出典の明確化
特に、毀誉褒貶相半ばする人物について何かを記す場合は、その内容の根拠を明確に示す必要があると考えています。小栗についても、歴史的に高評価だけが下されてきたわけではありません。そのこともあり、極端な神話化もみられます。個人的には好感を持っていますが、国際法学者の蜷川新による小栗評は、史実から跳躍しすぎた感情論となっている箇所が多々あるようです。一方で、小栗の実績は、実は語られているよりずっと小さいと批判する人々もいます。よって、今回の本では、出典を明確化して、どのような史料、研究、調査に基づいて書いたのか、わかるようにしました。学術論文では当たり前の話ですが、一般書においては、これが実行されているのは全く少数派です。出典の明確化とは、例えば参考とした書名を明記することではありません。本の場合は、「何ページに書かれているのか」を記すことが必要です。一般向けの歴史関連書の多く(それが研究者によって書かれていても)は、ページ番号を記していません。これでは、読者が内容を検証することが困難です(というか、ほぼ不可能な場合が多い)。ページ番号を含む出典の明確化は、小栗のような人物の評伝に関しては、意識的に行うべきと確信しています。
・ 時系列に沿った記述
小栗の評伝はある程度の数が出版されていますが、出生から時系列に沿って書かれたものは決して多くありません。それは、彼の幼少〜青年期を語る史料が少ないことにも起因していますが、個人的に、時系列がバラバラになった評伝は、特に初学者には厳しいように思っています。それに加えて、私のように思想史学を専攻する者にとっては、時系列は単なる時間の経過以上の意味を持っています。人の考え方というのは、当該時点より過去の事象のみを材料として形作られているという、この当然の事実を否定することができないからです。後世に生きる我々は、小栗の人生を終わりまで、丸ごと知ることができますが、小栗は常にその時点より後のことを経験、認識することができません。この当たり前のことは、人の一生を考える上で、何より重要な要素となりえます。よって、拙著では序章を除いて、彼の人生の時系列を乱すことを意図的に避けました(序章を読むのは最後に回しても問題ありません)。
・ 安積艮斎からの影響
多くの書籍で、「小栗は艮斎から思想的影響を受けた」と書かれています。しかし、一体それは具体的にはどのような影響なのか、明記されている書は、管見の限りほぼ目にしたことがありません(艮斎から開国論を教わった、などとする書もありますが、艮斎の交易論は、積極的な開国を目指したものとは思えません)。艮斎の儒学、殊に陽明学の影響を受けたと主張するならば、艮斎の著作からそれを説明する必要があります。私は以前から、小栗の性格や行動というのは、艮斎の思想を踏まえると理解できる部分が多いと感じています。例えば、幼少〜青年期のエピソードは、見事なまでに艮斎の教えの実践です。講義中に積極性がなく聴いているだけのようだった(これは鋤雲の観察眼に驚かされる極めて重要な話です)、かなり年長の者に対しても生意気だった、空気を読んで周囲と融和しようとしなかった、などの話は、艮斎の複数の書を読めばそこに明確な理由があることに気付きます。本書では、あまり長くならない程度で、艮斎の思想と小栗の性格、行動についての関連も分析しています。『艮斎文略』、『洋外紀略』、『艮斎間話』などは、小栗を知るためにも絶対に欠かすことができない書です。なお、小栗が陽明学を学んでいないとする蜷川新の説は、純然たる過ちであると指摘しておきます。
・ 万延元年遣米使節と通貨交渉
小栗の人生を語る上で最も多く取り上げられる万延元年遣米使節については、充実した史料集である『万延元年遣米使節史料集成』と、そこに未収録の見聞録に基づき、実態を整理しています。アメリカの新聞記事も、重要なものは可能な限り参照し、元記事の収録ページも併記しています。特に、通貨交渉については彼の地の新聞が詳報を掲載しており、これも本書に訳出しています。なお、小栗は見聞録を残していませんが、よく知られているように、他の多くのメンバーは詳細な記録を残しました。特に、森田清行や副使・村垣範正らの手記などを利用しました。蜷川新、司馬遼太郎らが村垣の能力を(根拠は不明ながら)酷評していますが、それがいかに大きな誤りであるかは、ポサドニック号事件で明らかになります。
・ ポサドニック号事件とリハチョフ
本事件については、長らく種々の意見が戦わされ、外国奉行として対馬に派遣された小栗の判断についても、評価し辛いものがありました。この最大の理由は、ロシア側の真意を知るための材料が不足していたことです。しかし、東京大学史料編纂所紀要で2015年と2018年に発表されたリハチョフに関する論文、研究発表で、一気に事件の構造が可視化され、議論の土台が整備されました。事件の背後にいたリハチョフが、一体どのような考えでこの不法占拠を指示し、なぜ道半ばで諦めたのか判明したからです。そして、この二論考によって、小栗の行動が正しかったことと、箱館奉行だった村垣の役人としての力量が証明されたことになります。この辺りに興味を持たれる向きは、是非本書でご確認下さい。
・ 権田での暴徒騒動
小栗が権田に退隠した直後に起きた暴徒騒動は、彼の人生を語るためだけではなく、当時における上州の混乱を知る上でも重要です。この件については、地方史をまとめた書物に多くの史料が収録されているため、それらも多く参照して正確に記しました。さすがに今は触れる者もいないと思われますが、数十年前まで稀に話題に上がっていた徳川埋蔵金の件も、この暴徒騒動や『小栗日記』を確認すれば、事実無根だとよくわかります。それと同時に、なぜそのような噂が広まってしまったのかも判明します(ただし、当たり前ですが、本書ではこの埋蔵金の話は微塵も触れていません)。『小栗日記』については、本書の様々な箇所で参照していますが、権田に落ち着いてからの記述には、小栗の人間性が読み取れる箇所が多くあります。

全般的に、小栗のことを原史料から把握したい方、過去にどのような研究があって小栗像が形成されてきたのか知りたい方には、今回の本を強力にお薦めしたいと考えています。
今回も編集を担当して下さった倉畑雄太さん、素晴らしい装丁に仕上げて下さった小川惟久さんをはじめ、作品社さんと本書に関わって下さった全ての皆様に深謝申し上げます。そして、本書を読んで下さる方々にも、先回りに心より感謝の意を伝えておきたいと思います。ありがとうございます。心を込めて書いた『評伝 小栗忠順』、何卒宜しくお願いします。
森田健司

